習近平独裁体制ゆさぶる香港民主化の闘い

       2019年10月15日発行 №421



〈巻頭言〉

 

◉「建国70年の中国」考

 

 「西洋人が四百年かけて経験してきた天と地ほどの差のあるふたつの時代を、中国人はたった四〇年で経験してしまった」(余華『兄弟』〈あとがき〉二〇〇五年)ーー

 

 「ふたつの時代」というのは、この小説の上巻・下巻のタイトルにもある「文革」時代と「開放経済」(改革・開放)時代のことだ。

 1960年生まれの中国の人気作家・余華は文革時代を「狂気じみた、本能が抑圧された痛ましい運命の時代、ヨーロッパの中世にあたる」とし、現在の中国を「倫理が覆され、今日のヨーロッパよりもはるかに極端な欲望のままに浮ついた、生きとし生けるものたちの時代」という。

 

 かつて若い頃、外国語大学に入学してたまたま入ったのが中国学科だった筆者が洗礼を受けたのが、文化大革命(プロ文革)さなかの中国だった。民主化を求めるチェコスロバキア民衆の「プラハの春」への武力弾圧などソ連型「社会主義」への不信が募る一方、アメリカのベトナム侵略戦争を真っ向から批判してベトナム人民への支援を惜しまなかった(と筆者には思われた)中国への信頼は、ベトナム反戦運動に足を踏み入れていた筆者には揺るぎないものだった。

 

 毛沢東と中国共産党はプロ文革を「社会主義の変質を防止し、資本主義の復活を阻止する永久革命」と規定して、「党内外で資本主義の道をあゆむ実権派」を「暴き出して打倒せよ」と全中国を「革命の渦」に巻き込んだが、それはまた日本を含む世界の革命運動にも巨大な影響を与えたのだった。

 しかしこの文革は、毛沢東の権力奪回の手段として、「継続革命/階級闘争」の名のもと中国人民を果てしない混乱と破壊と殺しあいの世界に投げこみ、数多の犠牲者を生みだす狂気の時代を現出した。余華がいうように、まさに「狂気じみた、本能が抑圧された痛ましい運命の時代」だったのだ。

だが、それが反転するのに長い時間はかからなかった。

 

 70年代なかば、毛沢東が死去して革命第一世代がつぎつぎ世を去るなか「文革の終了」が宣言され、「改革・開放」を主導するかつての「実権派」鄧小平の時代がはじまる。そして、タガのはずれた中国型「社会主義」は資本主義の市場経済に呑み込まれながら凄まじいばかりの「発展」を遂げていくが、それは余華のいう〈倫理が覆され欲望のままに浮ついて生きるものたち〉によって生み出されてきたものなのだ。そしていまやそのGDPはアメリカに次ぐ巨大さだ。その野望は「一路一帯」をつうじて世界制覇をうかがうものに膨張しつつある。

 

 建国70年目の中国ーー。国力は天を仰ぐが如く巨大化したが、かつて植民地からの解放を求める「第三世界」や革命勢力から寄せられていた敬意は地に落ちたというべきだろう。それどころか香港への弾圧(指示)にみるように、「民主主義の敵」としての姿を改めて露わにしている。

 

 「赤い貴族」と勤労大衆から蔑視もされる腐敗した党官僚ーー彼らが跋扈する中国共産党に明るい未来はない。

                                               (編集部N)