巨大地震の危険性は果たして去ったか?

          反戦情報 №462 2023.03.15


                                  2011年3月11日。岩手県宮古市を襲った大津波

 


<巻頭言>

 

●原爆と原発は兄弟

 

  今年の3月11日で、あの巨大原子力災害から12年がたつ。あれから政権が変わり、民主・菅、野田を経て、自公・安倍、菅、岸田へと顔も変わった。当初は、全国各地での反原発運動の高揚もあり、「これで原発政策も変わる」という期待も生み出された。当時はまだ、原発事故後のすさまじさも手伝い、「原発推進側」も「ネコかぶり」がめだち動きを示すことはなかった。そのうち、他の原発の「定期検査」などもあり、日本中すべての原発が操業を停止する事態となった。この時、一時的に「計画停電」といった「人為的」な停電も行われたが、日本経済は止まることはなかった。日本経済は、「安い」原発由来の電力でこそ「成長」が可能だ――といった考えは、この「原発なし」の日々の実践で、吹き飛んだ。

 

そうこうしているうちにまた数年がたった。今度は、別の方面から、別の弾丸が飛んできた。それは「地球温暖化」問題だった。

「原発は、温暖化ガスを排出せず、クリーン」という、とんでもない意見だった。「ただ湯を沸かして電気をつくるだけ」のために「放射能をまき散らす危険性」を内包したエネルギ-を延命させるためにのみ創り出された「クリーン」という言説。

 

しかし、それだけではいくら「クリーン」でも、人々はついて行かない。それを推進するためには、別の動機が必要だった。

そこで登場したのが、「ウクライナ危機」とそれに由来する「電力危機」の到来だ。

ロシアのプーチン政権は、欧米の経済制裁を挫折させるために、ヨーロッパ諸国、とりわけロシアにエネルギーを依存していたドイツを狙い、ガスの輸出を絞り込んで、締め上げた。日本にたいしてもサハリンに持つガスの権益を締め上げた。

ロシアのウクライナ侵略という別の要因が世界的なエネルギーのひっ迫を演出し、「資源小国」をゆさぶった。世界各地の電気料金が値上がりし、特にEC諸国など前年比何倍もの電気料金で大衆の生活が締め上げられる事態となった。

 

こうした事態が恒常化する中で、「原発回帰」にとって願ってもない「環境」がつくりだされたのだった。「電力危機による大衆的生活の危機」がそれだ。

ところで、「電力危機」というものの内容は「電力不足」ではない。その内容については、哲野イサク氏が本誌№458(2022年11月号)で指摘しているとおりだ。JERA(東電と中部電が共同出資した火力発電会社)がコストの高い老朽火力の稼働をきらって電力最大需要時にはスレスレの綱渡りを厭わないという点にあり、それが一見、「電力不足状態」に見えるのだ。むしろ「電力は供給過剰」な状態なのである。それを岸田首相は「原発再稼働推進」の口実に使っているのだ。

同様に、ドイツがこの「エネルギー危機」に対して、一時的に国内の「原発再稼働」を容認して「電力危機」を回避する措置をとったことは、うなずけることだ。

 

最後に、原発の存立の是非について、改めて問題提起しておきたい。それは、ロシアのウクライナ侵略で起きた事態を、よく考えておくということだ。ザポリージャ原発をはじめ、ウクライナの原発がロシア軍の攻撃を受けている。原発という「電気」を産みだすための機器が、ロシア軍の砲撃を受け、その周辺の人々の生活を危うくしている。「原発が原爆と兄弟」ということは、まぎれもない事実だ。いったん戦端が開かれたら、凶暴な機械に変貌することを忘れないでおこう。                                         (編集部N)